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2007年02月01日

親父の日野Contessa1300


旧い車ネタで、ふと思い出してしまった親父のコンテッサ1300。

コンテッサ900を下取りに出して、この1300に乗り換えた。

ミケロッティのデザイン。RRのエンジン配置からくる、ハンドリングの軽快さ。

まだ小さかった子供の脳裏に、強烈なインパクトでもって焼きついているのです。

今は懐かしい思い出です。


たぶんコンテの所為か、ルノー8ゴルディニ、NSU TTS、サンビームIMPなどなど、

なぜか、「いいネ」と思う車はRRばかりの少年に育ってしまったのです。

なのに、初めて乗った車は、親戚のおねーちゃんのお古のHonda Life。

今のじゃなくって、もちろん先代。

ボンネット開けると、バイクのエンジンモドキの360㏄が鎮座していて、

でも、このエンジン良く回ってくれたよ、バイクみたいに。

そのあと、どう気が変わったのか'82アウトビアンキA112 ABARTHと、

FF街道を歩み続けることになるのです。

でも、ついつい買っちゃうプラモはRR車ばかりでしたが…



リアのグリルが、とてもカッコよかった。

親父がよく言っていた。

「本当はクーペが欲しかったんやけど、当時で85万円はちょっと手が出んかったヮ。

セダンの65万円で我慢しといて、ただどうしてもスポーティー感覚で乗りたかったので、

オプションで設定のあった、フロアーチェンジを選んだんや。」 と。

床から唐突に生えたいるシフトレバーが、何ともかわいい。 Simple is Best !



今から、15年ほど前に、浜松だったか横浜だったか、現在は無くなっている施設か、

もう記憶は定かでないのですが、

日野自動車の倉庫から50機ほどの新品エンジンが出てきた。

これが、その一つ。 親父は、予備エンジンにと手に入れて保管していた。

この姿に、今の自分を照らし合わせて、思わず笑いがこみ上げてくるのです。

正しく、今の自分は親父の遺伝や。間違いない。














親父が、もう彼女を手放そうと言い出したのが、7年ほど前になるか。

すぐに嫁ぎ先も見つかり、

九州福岡のコンテファンの方に貰われて行ったのです。

その親父も去年他界し、「やっぱりあん時、クーペにしとくんやった」 なんて、

文字通りの極楽気分で、わいわい言ってそうです、ほんまのとこ。。。




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車の税金って今まで何も考えずに支払ってきましたが、結構払っていますね。
車 税金【あれ♪】at 2007年06月01日 09:47
この記事へのコメント
思うに私はtakaさんより若干(ココ強調)年齢が上なので、あの頃"×××だからフロア・チェンジを選んだ"当時のお父上の先進性に驚嘆すると共に心情はものすごく良く判ります。スタイリッシュなクーペを家族で使うには忍びなかったのでしょう。決して値段の問題では無かったかと・・
900→1300とコンテッサを乗り継ぐという事は恐らく、その前ルノー4CV(日野がノックダウン生産)時代から研究に研究を重ねた結果のチョイスだったのでしょう。もはや叶うことは無いのですが、ゆっくりお父上とクルマ談義をしてみたかった気が致します。
だけどぉ・・・完璧にDNA繋がってますねぇ(笑)こんど、機会有ったらFF&RR談義しましょう。(再笑)
Posted by timo at 2007年02月02日 07:53
バイク以外乗せるなボケ
Posted by at 2007年02月02日 21:36
お父さんのコンテッサへの思い入れが伝わって来ました(色がまたシブぃですね)!
その血をtakaさんがしっかり受け継いでいる訳ですね、納得です。
私の亡父も車が好きで、バスの整備士でした。
そんな姿を見て来たせいでしょう、私も弟も大の車(4輪≪2輪)好きです。
私の場合は、車はもっぱら趣味ですが、弟は父親と同じく車の整備関係の仕事をしています。

コンテッサ、貴公子の名前がピッタリの車でしたよね。
日野自動車は地元(隣市)の企業なので、母方のおじさん達がたくさん勤めていました。
さすがに高級(高価)車だったので、乗っているおじさんはいませんでしたが、おじさん宅には良く白いコンテッサに乗っている友人さんが遊びに来ていましたっけ。

それにしても、マニアックな写真達。
これはtakaさんが写したものですか?
Posted by おじ太郎 at 2007年02月03日 10:03
>timoさん
4CVのことも、親父はなにか蘊蓄を語ってくれてましたが、残念ながら、もう詳細は忘却の彼方です。コンテッサに関しては、RRのメカニズムも然ることながら、ボディーデザインにゾッコンだったようです。

>おじ太郎さん
おじ太郎さんも、親父さんのDNAを確実に受け継いでおられますね。男の子って、言葉はなくても親父の影響を全面的に受けるもんですね。おじ太郎さんのマニアックぶりがうなずけました。このダークグリーンメタリックはオリジナルで、現存しているコンテでも少ない色目です。この画像は、親父のコンテが嫁ぐ前に撮影したものです。リボンタイヤもラジアルの新品を履いていて、オドメーターは、まだ30,000キロほどだったと思います。コンテのMeetingなどで、姿を現してくれると嬉しいのですが。
Posted by taka at 2007年02月03日 15:26
の状態で動態保存するのは大変だったでしょうね。
やっぱり雨の日には乗らなかったのでしょうか。
雨の日にも乗っていらしたとしたら、アフターケアーが完璧だったんでしょうね。
ところで、前後に付いているプレートは何ですか?日野コンテッサオーナーズクラブの証?
今でもきっと南国九州で元気にしているんでしょうね。
クラシックパレードに行った時の楽しみの一つにナンバープレートウォッチングがあります(個人的に)。
ご当地ナンバーが話題になっていますが、ご当時ナンバーを付けた車を見るのもまた楽しいものです。
そういえば、来年に富士山ナンバーができるようですね(静岡と山梨の両県を跨ってのエリアナンバーだそうです)。
古いナンバーを保存したい会(笑)。
Posted by おじ太郎 at 2007年02月03日 19:50
>おじ太郎さん
昭和46,47年時分までは自家用車として活躍してたと記憶していますが、
それから以降は雨の日には乗らず、
晴天の週末に市内一回りのドライブをして、
コンディションを保ってきていました。
それから、HACの前後プレートですが、
日野オートクラブ・京都?のものらしく、
昭和30,40年代のもので、
このプレートだけは外して今も残っています。

静岡と山梨の両県を跨ってのエリアナンバー「富士山ナンバー」とは、
粋な計らいですね。
お国も、柔らか頭な対応が嬉しいですね。
こういうことで、地元や地域と言うものに、
もっともっと愛着をもてる社会になっていって欲しいと思います。
Posted by taka at 2007年02月04日 02:01
こんにちは。大道芸観覧レポートをつくっています。日野・コンテッサの当時の広告もとりあげています。もし、よろしかったら寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu
Posted by kemukemu at 2007年04月07日 20:16
>kemukemuさん
ありがとうございます。
日野・コンテッサの当時の広告拝見しました。
この頃の広告って、写真や印刷技術の関係で、
色や品質で制約がある反面、色が氾濫している現代よりも、
逆に素敵に目に飛び込んできますね。
コンテッサ900のことで子供ごころに薄っすらと記憶に残っているのは、
色が、薄ピンク色と肌色の中間の色だった、というくらいですが、
ほんとうに個性的な車です。
Posted by taka at 2007年04月08日 14:50
こんばんは。
素晴らしい車ですね、数回しか現物を見たことがありません。
デザインがとってもいいです。
現代車はメーカーが異なっていても、デザインが似ていて面白くありません。
私はポルシェの前はピアッツア(ジュージアーロさん)に乗っていました。

コンテッサはRRなので、ハンドリングは軽やかなんでしょうね♪
Posted by yoshida914 at 2009年05月24日 21:06
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